女性天皇をたぶらかした悪い坊さんというイメージだが、最近道鏡を再評価する動きがあるらしい。道鏡 - Wikipedia: "道鏡(どうきょう、文武天皇4年(700年)? - 宝亀3年4月7日(772年5月13日))は、奈良時代の法相宗の僧。祈祷の力をもって王家に取り入って権力を握り、政治に容喙したことから、よく帝政ロシア末期の怪僧グリゴリー・ラスプーチンと対比される。神護景雲4年(770年)に称徳天皇が病死すると、道鏡は葬礼の後も僥倖を頼み称徳天皇の御陵を守ったが、神護景雲4年8月21日、造下野薬師寺別当(下野国)を命ぜられて下向し、赴任地の下野国で没し庶人の待遇で葬られた。"
八尾市にある道鏡のファンクラブ:
道鏡を知る会メインページ:”この会は、植松の郷土史家 山野としえさんが、郷土文化誌の「河内どんこう」(昭和50年[1975年])に『植松風土記』を連載されていた時期の、昭和55年(1980年)「続日本紀」の弓削道鏡と称徳女帝の竜華寺参拝のくだりと今の植松の歴史を紹介し、悪僧と世情呼ばれているとなり村の弓削出身の道鏡さんが、実は立派な学識を持った人物であることを紹介したことにはじまります。”
人の評価は、生きているうちは決められない。死んでからでさえ、決められない。
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